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■すべてが未定のツアーです。[軍艦島へ行きたい]と話せば誰もが『行けば』と答えると思いますが、 零細自営業者には3日程度の休みも自由にならず、 長崎の端島へ行くということは大げさに言えば“夢”ともいえます。 ここに記録として残せば何かのきっかけでその夢がいつかは叶うのではないか・・・ また、仮に行けそうなメドがたったとしても 端島へ渡る事には多々問題点があります。ここに、その問題点を公表する事で善意の何方かが解決の方法なりヒントをくださるのではないか?という自分にとって都合のよい期待を込めて作っているページです。

●軍艦島へ 

日時/日程

集合場所

費用/会費

募集人数/適正人数

●軍艦島 (端島) について 

長崎港から18.5kmの海上にあり、総面積6.3ヘクタール
周囲1.2km、高さ海抜47.7m
当初現在の3分の1程の小島だったが
炭鉱を掘ったズリを捨てることにより現在の大きさになる。

明治23年三菱の所有、昭和49年1月15日に閉山。

場所:長崎県西彼杵郡高島町端島

明治年間に2000人を越え1960年頃には5300人以上の人が住む。
当時の東京の人口密度の約10倍。閉山時期でも2200人が住んでいた。
約6.3ヘクタールあった面積のうち半分以上は鉱場であり、その残りが居住区。

大正5年端島最初の鉄筋コンクリート造である30号棟は
日本最初の鉄筋コンクリート高層アパート。

●問題点

長崎に着いてから端島へどのように渡るか

季節について/端島で宿泊できるか

“虫”対策/スズメバチ、蚊など

●参考サイト 

明治23年三菱の所有、昭和49年1月15日に閉山。

場所:長崎県西彼杵郡高島町端島

明治年間に2000人を越え1960年頃には5300人以上の人が住む。
当時の東京の人口密度の約10倍。閉山時期でも2200人が住んでいた。
約6.3ヘクタールあった面積のうち半分以上は鉱場であり、その残りが居住区。

大正5年端島最初の鉄筋コンクリート造である30号棟は

参考文献 :【軍艦島】 −ある島のお話− 長崎県の端島を知っていますか

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